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靖国に戦犯無し

今日も九段下周辺では、在日反天連による「天皇いらない!靖国いらない!」という下らないデモが行われた。
民族系政治結社ではなく、特攻服を着用しない在特会が中心にデモの批判を行っていた。

戦勝国主導の軍事裁判で、俗にいうA級戦犯と決めつけられた過去の指導者は、昭和天皇の「全ての責任は私にある」とした御言葉を受け、昭和天皇を護るために戦争責任を自らに科した。

昭和天皇が靖国神社行幸啓を中止した原因を、「日経」記事の川辺メモならぬ所謂「富田メモ」にもとめるものが多いが、富田メモは信憑性の問題もあり、特に昭和天皇崩御前年の聞き取りメモであり、昭和天皇健在時の俗にいうA級戦犯への感謝の御言葉も綴られた「昭和天皇独白録」より格段に劣るものである。

戦勝国による不当裁判によって、A級戦犯扱いされた当時の日本及び軍の指導者は、天皇を護るために自らの命を差し出したのである。靖国に合祀されて当然である。

本当のA級戦犯とは、日本に2度も原爆を落とした国と軍の指導者である。こんなことは常識的に考えればわかる事である。

靖国以外にも全国には英霊を祀る護国神社が多数あるが、その中には俗にいうA級戦犯を合祀した神社もあり、国会議員も参拝している。こうしたことは全く報道されず問題視されない。今上陛下も護国神社への行幸啓に赴かれたことがある。

靖国神社の例祭などにも、昭和天皇時代から名代として皇室の代表が参拝されている。

周辺諸国以上に、日本人が靖国神社を知らなさすぎる。
人の不幸を金に換える事を公言している、小川寛大なる者の雑誌「宗教問題」もその実情を露呈した最底辺のマガジンであろう。

こんな下らんマガジンに寄稿する者どもの、素性が知れるというものである。

日本人として日本語を話すのであれば、靖国や護国神社の英霊・先人たちに敬意を持つことが大事であろう。





墓参

自己矛盾を承知の上で、住居遺贈者の墓参に出向く。併せて祖父母の墓参も行う。

天台宗寺院にある墓所で、墓参の前に本堂に賽銭を入れて合掌。偶像崇拝する。

墓所の草むしり、墓碑の清掃を行い、事前に買ってきた華を左右に。その後、懇意にしていただいている日蓮宗僧侶の方より頂戴した、筒形のお香入れから数本取り出し火をつけ供え合掌した。

イスラム教やキリスト教プロテスタントの中では、死者崇拝を禁じ当然墓参も禁じている教派もある。
もちろん偶像崇拝も禁止である。

掛け軸や人形、カリスマ指導者を崇拝する行為は、ジャニーズやAKBなどに夢中になり熱狂しているのと同じである。
どちらも偶像崇拝であって、価値観がどこに向いているかの違いでしかない。

『偶像』とは英語で『 idol 』(アイドル)と訳されるが、好きなアイドルのコンサートに行って、一緒に歌を熱唱して得る興奮と、「同志」と一緒に掛け軸に必死に祈り願う行為も、まったく同じ効用である。掛け軸もカリスマ指導者も人形も、ジャニーズやAKBなどと同じアイドルでしかない。
なので、天台宗や日蓮宗がゆるキャラをつくったり、萌えキャラアニメで参詣者増を狙うのも、まったく同じ行為なので問題にもならないと最近は感じる。

一方、墓参は同じ偶像崇拝でも『 cult image 』の訳が適当であろうか。
春秋の彼岸や盆に墓参を行うは、六波羅蜜や目連の逸話などがあるものの、江戸期を中心に一般民にも浸透した「先祖の祟り」などから慣例になった帰来もあると思われる。
もちろん、故人に対する思いや、自身誕生のルーツとして感謝の墓参もあるだろう。前者の場合は『 idol 』としての墓参になると思うが、後者の場合はどうなのだろう。 『 thanks 』であろうか。

偶像崇拝に当たらない、イスラム・キリスト圏での祈りは『 worship 』として区別される。

それにしても偶像崇拝者達が、板に彫られた文字が最高やら、印刷物の掛け軸が最高、人形が最高、教団指導者が最高、100日間の修行を満行した人の祈願が最高など、どれもアイドル信仰であり、テレビに出ている人気者に直接会った感激や、新しいCD/DVDなどを見聞きして感動するのも全く同じ効用で特別な呪いじみたものは存在しない。

よって学問じみた研究とやらをいくらやっても、所詮、アイドル、萌えキャラ、ゆるキャラの研究と同等なのである。

大学院を出て博士になっても偶像崇拝圏の研究は、義務教育のみでアイドルや萌えキャラに夢中になっているのと何ら変わりはない。
新聞やテレビ、雑誌でいくら偉そうにしても、程度はその程度であることを認知すべきだろう。





軍備について

日本における「終戦の日」が近づくにつれ、米朝の緊張が高まっている。
少々偏り過激と思われるかもしれないが、現実を直視し感想を記したい。

米国は日本に二回原爆を落とし、二度と米国に逆らわないように骨抜き憲法を押し付けた。
今の日本国憲法を『平和憲法』などといっているのは、頭の中味がお天気な輩だろう。

米国は核による東西冷戦と共に、その代理戦争として朝鮮を二分する朝鮮戦争が勃発したことから、アジアに軍事拠点が必要となり日本に再軍備をさせることになる。
それが自衛隊である。

憲法、自衛隊ともに米国のリモコンとして操られてきたのが、今の日本の矛盾の原点である。

どんな宗教を信じようとも自由だが、どんな悪人、あるいは善行の人でも、死後の世界や生まれ変わりといった検証不能なものに左右されるのは愚かに感じる。

それよりも自主憲法を制定し、自国の軍備を正式に認めることが賢い事だろう。
そして戦争ができる国になることを国内外に示すべきだと思う。
戦争を放棄した国が、自衛隊の名のもとに軍事予算をつけ、自衛隊員の人件費や武器の購入等に税金を費やすのは矛盾である。

侵略戦争は行うべきではないが、自国民を守るための戦争は容認されるべきで、もちろんその中には先制攻撃も含まれて当然と考える。

現行憲法下における自衛隊員の訓練は、戦争ごっこに人件費として税金を投入しているようなものである。
自衛隊員にも家族がいるだろうし、戦争合憲となれば退職する人も出るだろう。
しかし主砲を配備した軍艦、ミサイルを撃てる航空機、殺傷能力のある銃器をもって訓練する隊員、これらが戦争ごっこであってはならない。

皇軍から国民軍として、新しい国防システムを合憲とする手続きを支持するものである。





諸尊移動は通例

彫刻本尊や御形木本尊の諸尊の配座に疑問を持つ方もいるだろうが、元本となった本尊を彫刻したり、御形木の版木を造る際に諸尊の位置が若干移動したりすることは通例である。

これは確信をもっていえる事である。

何故ならば、私自身が興門派歴代より紙幅の本尊を書写・授与され、上人御遷化後に彫刻本尊を造っているからである。

私邸には、興門派歴代の肉筆本尊と、それを彫刻した本尊とがある。
よくできた彫刻だと思うが、肉筆のそれとよく見比べると、諸尊の位置の若干の違い等は観られる。
平成の世の技術をもってしても、毛筆の肉筆をそのままに彫刻することは困難なのである。

筆と筆が重なり合う部分などでは特にそうである。

元本とその彫刻の両方を手にしない者にはイメージがつかないかもしれない。
しかし私は偶々その両方を手にする機会に恵まれたので断言できる。

ましてや、写真レベルの資料をもとにいくら比べてみても、それは所詮もの知らずと揶揄されても致し方あるまい。

先に紹介の御形木本尊も同様で、元本と多少の違いがあっても、それをもって直ちに異なるものとは言い切れないのである。

これは資料と共に史料を如何に手にし、精査できる環境にあるかにもよるだろう。
私は大学・大学院レベルの研究者ではない。
どんな史資料も手にできる資産も時間も無い。
しかし、今、自分の手元にある黄金のごとき史資料は、たとえ一部であっても、どんな著名な研究者にも劣らないと自負する。

今回は個人情報の関係もあり画像を示せないが、このblogに記されたことは真実であり、写真だけで判断する危険性を十二分に喚起したい。





大石寺紫宸殿本尊御形木か

日載授与御形木

画像は私蔵の弘安三年三月沙弥日載授与の大漫荼羅本尊御形木である。

こちらも表装含めると一畳程度の大きさである。

大石寺の所謂「紫宸殿本尊」は、かつて知人と立正安国会を訪れ、写真の原板を拝見しスキャンさせていただいた事がある。
他の本尊は板に打付けたり、軸状になっているものを抑え撮影されていたが、大石寺関係の本尊は台の上もしくは床に広げ、文鎮で固定して上から撮影したものであった。

立正安国会御本尊集には、大石寺紫宸殿本尊は第82番に位置するが、その目録には大石寺の閉鎖性に配慮してか「現在寶蔵」(所蔵先の事)は不明、幅尺も不詳となっている。
しかし不思議なことに「三枚綴」との表記はあり、御顕示年月日や御讃文も記されている。

また「備考」欄には、(1)右下隅に授与書の存したのを、截落した形跡がある。
とあり、続いて(2)「御本尊寫眞鑑」巻之一に収載してある弘安三年三月 沙弥日載授与之本尊は、當御本尊を模寫したもののようである。
ともある。

近年、この(2)で指摘されている御本尊は、立正大学名誉教授らによって日蓮真蹟と判断された。所蔵は京都本山本法寺である。

もともと稲田海素によって発見されていた本尊だが、立正大学名誉教授らは「新発見」の見出しのもと、日蓮宗新聞で報告していた。

偽筆の御形木が流布する以上、模寫を御形木にして流布することも、その時代にはあり得ることである。
また、模寫であれば多少の文字のズレや書体の不一致も頷ける。

名声高き研究者の報告も重んじるが、当該本尊の真実は未だ究明されたとはいえないと考える。




Appendix

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冨士教学研究会 管理者

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