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宗教に正邪無し

宗教には正邪は無い。
あえていえば、全てが「邪」といえるだろう。

宗教で感得する覚りや功徳は、芸術・芸能でも学問・スポーツでも体感できる。
芸術・芸能も学問・スポーツも苦手な人は、宗教で体感するしかないのかもしれない。

もちろん、覚りや功徳・利益、現象面での不可思議な出来事は、全ての宗教で体感が可能である。
禅をくんでも、火炎や偶像を崇拝しても、掛け軸を拝んでも、それら以外の祈りでも。

会合などで得る歓喜も、教会で讃美歌を歌うのと同じ、特別なことではなくあらゆる場で経験できるものである。

冒頭、全てが「邪」といえるとしたのは、宗教には紛争・事件の火種が内在しているからである。
たまたま自分が関わった宗教で、本気になり何らかの感得・体感によって、その宗教だけが唯一正しいと思い込み、他人に勧めていく行くといった行動に出ていく。
まことに迷惑な話である。

このような行為が無くなる事が世界平和への一歩となろう。

月がかわり、結論のみのつぶやきとなったが、字数の関係でTwitterではなくblogに記した。





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