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流罪死罪

再掲するが「寺泊御書」には、仏陀記して云く「後の五百歳に法華経の行者有りて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん」等云云。日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり。とある。日蓮が龍口法難をもっていっているのか、佐渡流罪をもっていっているのか判然としないが、日蓮は「死罪」にはなっていない。身延で9年間も隠棲している。つまり日蓮の言はブーメランとなって帰って来、...

必要な人がいれば差し上げます

先にTwitterでふれましたが、かなり状態の悪いもので恐縮ですが、興風談所「日興上人全集」を1冊必要な方に提供したいと思います。新しいものは、興風談所に問い合わせればまだ在庫があると思いますので、有償でも新品をご希望の方は問い合わせてみてください。私が提供できるものの状態は以下の通りです。1、箱無し2、汚れ、鉛筆による書き込み、マーカーによる線引きなど有り。3、正誤表無し4、写真画像部分は特に問題なし。...

日蓮と創価学会の布教

日蓮は「寺泊御書」に『大日経等は法華経已前ならば華厳経等の如く、已後ならば涅槃経等の如し。』と、一期の弘通の中で、あるいは真言を批判したり、肯定したりもした。寺泊御書の一説は、大日経を一定評価したものと解せられる。事実、日蓮は「立正安国論」をもって、権力者による武力を用いた広宣流布を訴え、涅槃経の折伏を実践し、それが受け入れられないと、弟子をもって内部告発を実践し、厳しい指摘をもって相手を論破する...

何故、不動・愛染は大漫荼羅に梵字で記されたか

相伝には「受法」と「学法」がある。最澄が弘仁三年十一月に金剛界、同年十二月に胎蔵界の受法を空海から受けていることは、国宝・空海筆「灌頂歴名」からも知られる事実である。この受法は「結縁灌頂」であって、金剛界、胎蔵界の曼荼羅の上に散華を投げ、落ちた場所にある佛菩薩、明王等がその人の終生の護り本尊となる。最澄は学法の相伝を直接受けることなく、密教の相伝は中途半端なものになってしまった。空海からは厳しい処...

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