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諸尊移動は通例

彫刻本尊や御形木本尊の諸尊の配座に疑問を持つ方もいるだろうが、元本となった本尊を彫刻したり、御形木の版木を造る際に諸尊の位置が若干移動したりすることは通例である。

これは確信をもっていえる事である。

何故ならば、私自身が興門派歴代より紙幅の本尊を書写・授与され、上人御遷化後に彫刻本尊を造っているからである。

私邸には、興門派歴代の肉筆本尊と、それを彫刻した本尊とがある。
よくできた彫刻だと思うが、肉筆のそれとよく見比べると、諸尊の位置の若干の違い等は観られる。
平成の世の技術をもってしても、毛筆の肉筆をそのままに彫刻することは困難なのである。

筆と筆が重なり合う部分などでは特にそうである。

元本とその彫刻の両方を手にしない者にはイメージがつかないかもしれない。
しかし私は偶々その両方を手にする機会に恵まれたので断言できる。

ましてや、写真レベルの資料をもとにいくら比べてみても、それは所詮もの知らずと揶揄されても致し方あるまい。

先に紹介の御形木本尊も同様で、元本と多少の違いがあっても、それをもって直ちに異なるものとは言い切れないのである。

これは資料と共に史料を如何に手にし、精査できる環境にあるかにもよるだろう。
私は大学・大学院レベルの研究者ではない。
どんな史資料も手にできる資産も時間も無い。
しかし、今、自分の手元にある黄金のごとき史資料は、たとえ一部であっても、どんな著名な研究者にも劣らないと自負する。

今回は個人情報の関係もあり画像を示せないが、このblogに記されたことは真実であり、写真だけで判断する危険性を十二分に喚起したい。





大石寺紫宸殿本尊御形木か

日載授与御形木

画像は私蔵の弘安三年三月沙弥日載授与の大漫荼羅本尊御形木である。

こちらも表装含めると一畳程度の大きさである。

大石寺の所謂「紫宸殿本尊」は、かつて知人と立正安国会を訪れ、写真の原板を拝見しスキャンさせていただいた事がある。
他の本尊は板に打付けたり、軸状になっているものを抑え撮影されていたが、大石寺関係の本尊は台の上もしくは床に広げ、文鎮で固定して上から撮影したものであった。

立正安国会御本尊集には、大石寺紫宸殿本尊は第82番に位置するが、その目録には大石寺の閉鎖性に配慮してか「現在寶蔵」(所蔵先の事)は不明、幅尺も不詳となっている。
しかし不思議なことに「三枚綴」との表記はあり、御顕示年月日や御讃文も記されている。

また「備考」欄には、(1)右下隅に授与書の存したのを、截落した形跡がある。
とあり、続いて(2)「御本尊寫眞鑑」巻之一に収載してある弘安三年三月 沙弥日載授与之本尊は、當御本尊を模寫したもののようである。
ともある。

近年、この(2)で指摘されている御本尊は、立正大学名誉教授らによって日蓮真蹟と判断された。所蔵は京都本山本法寺である。

もともと稲田海素によって発見されていた本尊だが、立正大学名誉教授らは「新発見」の見出しのもと、日蓮宗新聞で報告していた。

偽筆の御形木が流布する以上、模寫を御形木にして流布することも、その時代にはあり得ることである。
また、模寫であれば多少の文字のズレや書体の不一致も頷ける。

名声高き研究者の報告も重んじるが、当該本尊の真実は未だ究明されたとはいえないと考える。




久々の富士門流談義

形木本尊
画像は私蔵の所謂「称徳本尊」と呼ばれるものの御形木御本尊である。

表装表具を含めると1畳を超える大きさで、ある富士門流寺院の御風入会にて、所謂「萬年救護大本尊」の御形木と同寺所蔵の称徳本尊を並べて写真を撮らせてもらったことがあるが、ほぼ同じ大きさである。

但し、私蔵のそれは、これまで富士門流寺院で拝観したものと異なり、下部に京都要法寺二十九世日慈の因縁書が形木で刷り付け加えられている。

それによれば、称徳本尊は師資相伝の本尊であり、広宣流布祈願の為に宝暦十三年十一月に模写彫刻(版木の作成と思われる)されたとある。

そして時は下り、本門宗瀬島日済により開眼され、出雲妙蓮寺の檀信徒に授与されている事が、左右の脇書からわかる。

出雲妙蓮寺は戦後日蓮宗に残存し、日蓮宗新聞からは、僧侶の法衣は完全に日蓮宗化していると見える。

戦後、約五十箇寺が本山と共に日蓮宗を離脱したが、三十箇寺以上は日蓮宗に残存した。
「島根尊門会」と称する旧要法寺末だが、現実は厳しく月日が経つにつれ旧日蓮宗と変わらない存在へとなり、今では加行満行者の祈祷や、九識霊断法を用いる寺院住職もいる。

興統法縁と云えども現状は多くが厳しい。



宗教に正邪無し

宗教には正邪は無い。
あえていえば、全てが「邪」といえるだろう。

宗教で感得する覚りや功徳は、芸術・芸能でも学問・スポーツでも体感できる。
芸術・芸能も学問・スポーツも苦手な人は、宗教で体感するしかないのかもしれない。

もちろん、覚りや功徳・利益、現象面での不可思議な出来事は、全ての宗教で体感が可能である。
禅をくんでも、火炎や偶像を崇拝しても、掛け軸を拝んでも、それら以外の祈りでも。

会合などで得る歓喜も、教会で讃美歌を歌うのと同じ、特別なことではなくあらゆる場で経験できるものである。

冒頭、全てが「邪」といえるとしたのは、宗教には紛争・事件の火種が内在しているからである。
たまたま自分が関わった宗教で、本気になり何らかの感得・体感によって、その宗教だけが唯一正しいと思い込み、他人に勧めていく行くといった行動に出ていく。
まことに迷惑な話である。

このような行為が無くなる事が世界平和への一歩となろう。

月がかわり、結論のみのつぶやきとなったが、字数の関係でTwitterではなくblogに記した。





流罪死罪

再掲するが「寺泊御書」には、

仏陀記して云く「後の五百歳に法華経の行者有りて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん」等云云。日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり。

とある。
日蓮が龍口法難をもっていっているのか、佐渡流罪をもっていっているのか判然としないが、日蓮は「死罪」にはなっていない。身延で9年間も隠棲している。
つまり日蓮の言はブーメランとなって帰って来、『釈迦・多宝・十方の諸仏の未来記は当に大妄語』となったのである。

それに反して、イエスは大衆の前で十字架にかかり、まさに死罪を現じて見せた。
これはキリスト教者でない研究者が文献考証した結果、イエスの死罪は事実であると結論しているからほぼ間違いないだろう。
もちろん、イエスの死罪はローマ帝国の法の裁きによって、その宗教的信念と行動を断罪されたものである。

イエスは社会の底辺層に目を向け、当時のローマ政治を強烈に批判。
加えて宗教的信念から、商売人を神殿から追い出すなどの行為があったという。
それでも病気の治癒など、当時としては「奇跡」と思われる現象を繰り返し、多くの信奉者を増やしたようである。

キリスト教は中世には西洋文化・芸術に影響をあたえ、近現代ではイエスの疾病平癒の精神はマザーテレサなどに受け継がれた。

恐らくは所謂「大乗仏教経典」の成立にも影響をあたえたと思われる。
特に法華経には阿弥陀如来の住む安楽世界が、聖母マリアを思わせる観世音菩薩が本門と呼ばれる後半部分に説かれる。

よって法華至上主義の日蓮の行動が、イエスのそれとかぶるわけである。
創価学会の池田大作が目をつけるのも、ある意味納得がいく。





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